鋳物の歴史~世界の鋳物づくり~

人間のものづくりの中で、最も古い技術のひとつとされている鋳造。
鋳造によって作られた『鋳物』の歴史は非常に奥が深く、世界、日本、また、この桑名の地でも数多くの歴史があります。
今回は『世界の鋳物づくり』についてまとめました!

鋳物の始まり(紀元前4000年頃)

鋳物の歴史は非常に古く、紀元前4000年頃にメソポタミアで始まったとされています。
非鉄系金属(※)でも解説した「銅」「青銅(銅とスズの合金)」を利用した鋳物が最も古いとされており、銅製の器物や青銅製の武器・装飾品が作られていたと考えられています。
銅・青銅を使用していた理由としては、この時代にはまだ鉄などの高融点金属を抽出して扱う技術はなかったため、融点が低く扱いやすい金属が鋳造に向いている、という点で主流となりました。
銅にスズを混ぜる事で融点が低く、硬度も出て扱いやすくなるため青銅が発見されてからは青銅が一般的に使われるようになっていきました。貿易が盛んで銅とスズの鉱石が両方とも手に入りやすい点から、メソポタミアで鋳物づくりが栄えたと言われています。
メソポタミアのように銅やスズが手に入らない地域では鉄が使用された場合もあるようですが、この時代では鍛造(※)が主流だったようです。
その後、流通の発達とともにメソポタミアからヨーロッパ・アジア地方へ、鋳物づくりの技術は広がっていきます。

鋳物の金属と種類による分類と解説~非鉄系金属~
※鍛造(たんぞう)…金属自体を熱して、叩いて伸ばして形を変えていく方法

鋳物技術の向上(紀元前2000年以降)

紀元前2000年以降にふいご(※)が発明されると、鋳物づくりの技術は向上していきます。
ふいごを利用することで高い温度を得られるようになり、金属を溶かしやすく、一度に溶かす量を増やすこともできるようになります。
古代エジプトに描かれた、ふいごを利用して銅を溶かし、大きな扉を作っていたとされる壁画が、現在でも残っています。
その後、さらに金属を溶かすための炉(鍋のようなもの)が作られたり、金属を流し込むための鋳型(いがた)の製法が改良されたり、空洞部分を作るための中子(なかご)を使用した鋳物づくりなど技術進歩が進み、青銅器時代(※)が全盛となります。

※ふいご…火をおこすための送風器。この時代では足踏みして風を送るものなどがあった。
※青銅器時代…石を使用していた石器時代から、青銅器が主要な道具として使われた時代。石器時代・青銅器時代・鉄器時代と3つに区分された時代のうちの一つ。

中国大陸での鋳物技術の広がり(紀元前700年頃)

中国大陸ではメソポタミアに次いで古くから鋳物が作られていたと言われています。
紀元前2000~3000年頃から青銅器、紀元前700年頃から鉄器が作られていたと考えられています。
また、鋳鉄鋳物(※)の歴史は中国で始まったとされており、紀元前500年頃にはヨーロッパで1630年頃に発見された現在の可鍛鋳鉄(※)のような基礎技術が約2000年も前に中国で行われており、中国大陸での鋳物づくりの技術は非常に高かったと考えられています。
中国から朝鮮半島へ技術が伝わり、日本には弥生時代に入ると鋳物作りの文化が伝わっていきました。

鋳物の金属と種類による分類と解説~鉄系金属~
※可鍛鋳鉄…鋳造性がよく、鋼のように強靭な性質をもつ金属

産業革命による技術革新(18世紀頃)

イギリスで18世紀(西暦1705年頃)に産業革命がおこると、鋳物技術がさらに発展していきます。
とくに革新となったのは、現在でも使われている、鉱石から金属を取り出す高炉(溶鉱炉)や純度を上げるための転炉(※)と呼ばれる炉の発明です。
1856年に発明された転炉では溶かした銑鉄中の炭素を取り除くことができ、純度の高い鉄が得られることから各種鋼が作られるようになりました。そのため、より強靭な金属を作ることができ、蒸気機関車や橋のように大きく丈夫な鋳物が作られるようになっていきます。
この頃から手作業で行っていた鋳物づくりが、大きな炉や機械を使って作られるようになり、工業生産の体制が世界へと広がっていきました。
産業革命から少し話は変わってしまいますが、さらに近代化が進み、アルミニウムやマグネシウムが発見されるのは19世紀頃で、電気分野の研究が進み、電気分解や電池の仕組みが発見されることによって、鉱石から分離することに成功していきます。

※転炉…銑鉄を鋼に転換するための炉

世界の鋳物づくりの歴史はとても興味深いものが多いですね!
次回は世界から日本とへ伝わった鋳物づくりが、日本ではどのように使われどのように進化していくのか、日本の鋳物の歴史についてを解説させていただきます!
次回もお楽しみに✨

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